正月休みに実家に帰る。
昼過ぎに着いて、
両親に最近の近況をタラタラと話しつつ、お笑い番組を見て、お惣菜のお節をつまみ、ぐったり、まったりして、
寝る。
(毎年こんな感じ)
夕方になったころ、ようやく立ち上がり、
散歩行にいくことにする。
庭に出ると私の帰省を心待ちにしていた忠犬が、尾を振りながら出迎えてくれる。
上着着て行きなさいよ。
心配そうに見送る母に、
大丈夫だよ。
と歩き出す。
テンション最高潮の我が忠犬。
このテンションに付き合うと散歩といえど少し小走りになる。
その為、最初は少し肌寒いが直ぐに小汗を掻くほどに蒸気する。
毎年の出来事で、着込んでしまうと後から後悔することは経験済みなのだ。
しばらく歩き、少し身体がポカポカしだした頃、ある物が目に止まる。
それは住宅販売を知らせる旗だ。
まだ工事中のその土地には、ピンクの派手派手しい旗が数本立てられていた。
あぁ、ここ。
家が立つのか。
私は振り返り、
今歩いてきた長い一本道を見つめた。
何もない真っ直ぐな道。
ずっと見つめた。
そしてまたこの家に視線を戻す。
そうか、家が立つのか。
新しい建物を見ると、
おや?
ここって前まで何があったっけ?
と、しばし茫然とすることがある。
東京の様に移り変わりが激しい土地に住むと、尚更この状況に陥る。
だが、ここだけは。
この土地だけはハッキリと覚えている。
ここにはずっと建設会社の倉庫のような建物があった。
そして、それが出来る今から約30年前、
この場所には…
約30年前の6月、私はこの地に越してきた。
今も何もないが、今よりももっと田舎の町だった。
何もない田舎町。
平和な毎日が始まる予定だったが、早速私は学校生活につまずいた。
小学一年生だった。
6月とはいえ、転入した学校の級友は、ある程度の行事を経て友達やら小さな派閥が出来ていた。
いま思えばたった二ヶ月の違いだが、私が感じたハンデは相当なものだった。
元々チビでガリで内気だった私は、到底馴染めるわけもなく、気がつくと格好のイジメの対象となった。
とりわけ席が隣だった高橋君のイジメ(イジメというか意地悪?)が私の心を日々傷付け学校生活を憂鬱の海に引きずり込んでいった。
朝の登校は毎日が地獄だった。
およそ1.5キロの道のりを近所の年長のお兄さんに連れられ、列になって歩く。
自宅から真っ直ぐ歩き一本道を曲がるだけの単純な経路であったはあったが、進めば進むほど憂鬱の波が私の心を揺らすのだ。
行きたくない。
今日はどんなことを言われるのかな。
行きたくない。
今日はどんな悲しい思いをするのかな。
行きたくない。
休めないかな…
いつも下を向いて歩いた。
幼い私には長い長い道のりだったはずだが、目的地に嫌なことが待ち受けているとすぐに着いてしまうものだ。
私は一本道を曲がる場所に目印を作った。
それは、
ちょうどその時期にシーズンを迎えた
菜の花畑だった。
辺り一面真っ黄色の菜の花畑。
菜の花をバックにモンシロチョウがヒラヒラと…
いまの私が見たら最新のスマホでつい撮りたくなる景色だ。
もちろん、
当時の私はそんな余裕はなかった。
そこは地獄の入り口を意味していた。
曲がる場所を間違えない、という意味での目印でもあったが、どちらかと言えば、心の目印だった。
どれだけ嫌でも、その目印に着いたらもう学校。
菜の花畑が見えたら学校。
菜の花畑に着いたらもうダメだ。
観念しなければならない。
地獄の象徴でもあったが、目印としては優秀だった。
そこに近づくと嫌でも菜の花の強い匂いが私に終点を知らせてくれた。
あの匂いがしだしたら、目印まではあと数メートル。
匂いがしたらすぐ。
幼いながらにそう理解していた。
私は徐々に学校に行かなくなった。
引きこもりのような知識はなかったので、お腹が痛いや頭が痛いといった仮病を装い何とか行かないで済む方法を模索した。
6月の終わりには週に二、三日は休むようになっていた。
最初は許してくれていた母も段々とこのままではいけない、と思ったのだろう。
仮病で3日連続休んだある日、
明日は絶対行くんだよ。
と初めて強目に釘を刺された。
もしかして…
怒っている?
私は危機を感じた。
この地獄の唯一の味方を失うかもしれない。
私は不安になり、行かなければならない事を幼いながらに悟った。
当日の朝、一応探るようにグズってはみたが、母の信念は固かった。
すぐに観念し、その日は少し遅れて学校に向かった。
単純な道のりだったので、当時の私でも一人で行くことが出来た。
真っ直ぐ歩き、菜の花畑に着いたら右に曲がるだけ。
菜の花が見えたら右折。
菜の花の匂いを感じたらもうすぐ。
菜の花が見えたら学校。
毎日毎日心に唱えた言葉。
菜の花畑まで。
たがこの日は違った。
歩いているといつもとは違う香りが私を出迎えた。
これは…
土の匂い?
何事かと私は駆け寄った。
私の視界に広がったのは、
全て掘り起こされ無残に枯れた菜の花畑だった。
菜の花畑がなくなった。
もう菜の花はない!
私はいま歩いて来た道を走って戻った。
急いで戻った。
何もない真っ直ぐな道。
ずっと走った。
玄関を開くなり母のもとに駆け寄り、私は号泣しながら訴えた。
菜の花がないから行かなくていいよね!
菜の花がなくなったから!
もう菜の花ないから!!
菜の花はもう無いのだから、学校に行かなくていい。
私は独自の論法を訴えた。
何事かと私の両肩を掴み、何度も聞き返す母に泣きじゃくりながら同じ訴えを繰り返した。
何としても説得しなければならない。
私にはもうこれしかないのだ。
涙の訴えを繰り返すうち、急に訳の分からない事を言い出した息子の姿を見て、それまで気丈に振る舞っていた母も焦りだした。
どうしたの、どうしたの…
跪いて私を抱きしめた。
抱擁され私は安堵した。
私の訴えが通じたのだと感じた。
これでもう行かなくて済む。
菜の花畑がなくなったのだから。
30秒ほどの抱擁だっただろうか。
母は私を引き剥がし、一体どうしたの、と再度聞いた。
私は目を疑った。
母が泣いていた。
どうしたの、どうしたの、と泣きながら聞いていた。
私は愕然とした。
母の涙を見たのはこの時が初めてだった。
誰が母を…僕が?
僕が母を泣かせてしまったのか。
その瞬間、私の中に重く鎮座していた、
菜の花、高橋君、先生、学校…
全てが消え去った。
不安が完全になくなったかと言えば嘘になるが、もはやそれらは大した問題ではなくなった。
私は、
何でもない、大丈夫。
と伝え慌てて踵を返した。
心配そうに見送る母に
大丈夫だよ。
と歩き出した。
うつむき、ひたすら歩いた。
泣かせてしまった。
僕が泣かせてしまった。
すぐに土の香りが、私を出迎えた。
私は見向きもしなかった。
もう怖いものなどなにもない。
枯れて横たわる菜の花たち。
行き場を無くしたモンシロチョウ。
そこを突き進む黄色いランドセル。
菜の花畑がなくなったあの日、
私の小さな世界が動き出した。
そして、
私の黄金期が始まる。
第二章へつづく。
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